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【人生ドン底】誰もが羨む大手企業を鬱で辞め、”アイドル”になった女の逆転ストーリー

はじめまして!

みさこです!

本日はWebサイトにお越しいただき、ありがとうございます。

私は、大手企業を泣く泣くうつで退職し
キャリアコンプレックスを抱えた、スキル0実績0のしがないアラサーです。

本当にお先真っ暗という言葉がぴったりです!苦笑

しかし、あることがきっかけで、
Webマーケティングを活用して在宅ワークで働いていくことを決心しました!

目標は、1年後に月収30万円、
2年後に月収100万円を達成することです。

「いきなり何を言っているんだ」と、思われた方も多いと思いますが、
私は本気です。(笑)

この目標は、「こんくらい稼げたらいいな~」みたいな感じで
漠然と設定したものではありません。

経験者の実績をもとに実現が可能と判断したため
このような目標を設定しました。

先程もお伝えしましたが、私はスキルも実績もないどこにでもいるアラサーです。

では、なぜこんなお先真っ暗なアラサーが
Webマーケティングの道へ進むことになったのか。

そのきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。
少し長くなりますが10分ほどで読み終わりますのでよければ読んでみてください♪

基本情報

名前:みさこ
性別:女
生年月日:1998年1月8日
職業:在宅フリーランス
好きな食べ物:トマト
趣味:フィルムカメラ、喫茶店巡り、アイドル鑑賞、フェス
好きな漫画:1日外出録ハンチョウ(知ってます?笑)
好きな色:緑
好きなアーティスト:松田聖子、カネコアヤノ

幼少期〜中学生時代:厳しい親、貧しい生活

私は青森で中卒の父と、高卒の母の元に生まれました。

両親が20歳の時に、私が生まれたので
まだ、両親は46歳です。
7つ下に弟がいます。

愛情いっぱいに育てられましたが、
両親が若すぎることもあり、生活にはかなり苦労をしていました。

18歳になるくらいまで
家賃3万円のオンボロ団地に住んでいました。

幼いながらに、自分の家は他の家より貧しい。
ということに気づいており、我慢をすることが多い子供でした。

両親は、金銭的にも精神的にも余裕がなかったこともあり
私は「モラハラ教育」を受けていました。

食事のマナーや勉強は
かなり厳しく教育されました。

箸の持ち方を間違えると手を強く叩かれたり
私に気に入らないことがあれば
声を大きく荒げ、手を上げるような父でした。

当時は父に怯えながら生活をしていました。

でも、私は両親のことが大好きだったので
常に「パパとママに怒られないようにいい子でいる」
思いながら行動をしていました。

小学校
・成績はめちゃくちゃ良い。基本オール5
・小学3年生から吹奏楽部に入部
→ガチで全国大会を目指していたので練習に明け暮れる。

中学校
・成績はマジでめちゃくちゃ良い。基本オール5
・吹奏楽部で部長をつとめる
→チームで何かを作っていくことが好きだと感じる。
・成績も良く、部長や学級委員長など「〜長」がつくものはなんでもやってたので
内申点がすこぶる良い。

毎回通信簿がほとんど5なので、中卒・高卒出身の両親は
「本当にわたしたちの子供か!?」とめちゃくちゃ喜んでくれました。

私は両親に褒められたい、その一心で
テスト週間の土日は10時間以上勉強していました。

友達が習い事を始めて
そろばん教室に通ったり、カテキョーに通ったりしていましたが
完全に独学でこの成績です。

中学3年生の春、

父から
「お前は高専に入りなさい。今の成績なら推薦で一発合格だ。
大手に就職できるし、国立だからお金も安くてパパも助かる。」

と言われ、ほとんどの友達が近所の普通高校を選んでいる中
自分だけ高専を目指すことになりました。

※高専→国立工業高等専門学校
就職率が高く、ほとんどが大手に就職。
5年制で専門的な知識を集中して学ぶことができる学校。

父の予言通り、私は余裕で推薦・高専への入学権をゲット。

みんなが必死こいて勉強している中、
ひと足さきに受験を終えて秋冬はだらだら過ごしていましたね。

高専時代:親元離れて充実!キラキラ学生ライフ

パワハラの父親と離れて、15歳から高専の寮での生活がスタート。
結論、マジで最高すぎる!!

10畳程度の部屋を本棚で区切り、寮生と2人で生活をしていましたが
もともと家賃3万円のオンボロ団地に住んでいたので
自分の部屋があることに、とにかく感動!!

中学生の頃から、何かと我慢して生活をしていたので
開放された気持ちで、毎日楽しい学生ライフを送っていました!

高専、と聞くと「オタク」のイメージを持つ方も多いと思いますが
私が入学した年は、近年稀に見る「神世代」笑!

クラスは女子が7割、男子が3割と
他のクラスの男子や、先輩たちが教室の前まで来て
入学したばかりの可愛い女の子を眺めにくるようなクラスでした。

雰囲気も女子校のような感じで、毎日キャッキャしながら
授業を受けていました。

私は、クラスの中でも「お笑い担当」で
先生のモノマネをしたりして
みんなを笑わせるのが大好きな学生でした。

高専
・今までより勉強には手を抜いているが成績は上位
・吹奏楽部で部長をつとめる。
・学園祭などの行事は中心で盛り上げる

教授にも好かれるタイプ。
4年生になり就活が始まると、教授から声をかけられました。

「あの企業に興味はない?どちゃくそ大手だし、
食いっぱぐれることもない。みさこさんが良ければ僕が推薦を出すよ。」

なんというビックチャンス…!!もちろん回答はYES!!

私が、推薦であの大手企業に〜!?
最高かよ!!人生勝ち組でごめん♡(うざい)

当時は本気で人生ちょろすぎるって思ってました。

その会社は、私が今まで5年間学んできた
科学の知識を活かせる研究職でした。

研究職!?響きもいいし、なんかかっこいい!
と思ってその会社への入職を決めました笑

他のみんなが、必死こいて面接を受けに行ってるのを横目に
内定が決まり、最後の1年はマジで遊び呆けていました。

就職が決まって、両親も大喜び。

娘が、あの大手企業の研究職に就いたんだ!すごいだろ〜!!

父は自信満々に、会う人みんなに自慢しまくり。

それを見て両親が喜んでくれてよかった〜涙!と
心から嬉しく思いました。

高専時代は環境にも、人にも恵まれ
本当にキラキラした生活を送っていましたね。

新社会人:人生勝ち組から、感じた違和感。

ここまでかなり順調に人生を歩んできた私ですが
ここから調子が狂いはじめます。

はるばる青森から出てきた田舎娘の私。
地元には、suicaも電車もありませんでした。

電車の乗り方もわからず、のそのそ歩いていると
正面からハイヒールの女性が歩いてきて
耳元で舌打ちをされました。

上京した初日の出来事です。
「東京の人ってめっちゃ冷たいやんけ!」と思いました。

入社してからも、田舎と都会のギャップに徐々に心が疲れていきました。

特に辛いと感じたのは…

・椅子取りゲーム状態の満員電車
→梅雨時はおじさんの匂いが充満。ほんま臭い。マジで耐えられない。

・毎朝4時起き
→技術職のため、ベテランおじいちゃんの出勤時間に合わせて活動。
もともと朝が苦手だったのでかなりしんどい。

・終電まで飲み会+説教
→フレックスだったので夕方には退勤。関内にあるたこ焼き屋(立ち飲み)で
3時間上司とお酒を飲みながら説教タイム

同期の女の子と毎日泣きながら社宅に帰っていたのを今も鮮明に覚えています。

幸い、同期の子たちはすごくいい子たちだったので
いつか楽になるだろうと信じて、とにかく毎日を精一杯に生きていました。

新社会人②:初めて味わう劣等感・職場のいじめ

私が就職した大手企業は、高専卒以外は基本的に大学院卒の人しかいません。
しかも、かなりのエリートです。

東京大学、東京工業大学 など…
正直私とは比べ物にならないくらい頭のいい人しかいませんでした。

学生時代から、そこそこ勉強ができると思っていた私ですが
ここで、「上には上がいる」と初めて感じる劣等感。

さらに追い討ちをかけるように
同じ研究室で作業をしていたおじさんからいじめを受けました。

おじいちゃん子で、上司に可愛がられていた私に対して
一定数それをよく思わない中堅層がいました。

今思えば、嫉妬だったのかなと思いますが
最初は軽く無視される程度だったものが
後半はどんどんエスカレート。

研究室の冷房をいじられ、
それに気づかず体調を崩したり
上司の見えないところで言葉の暴力を受けました。

学生時代から笑顔がチャームポイントだった私。
日を増すごとに笑顔が消え、
帰りの電車ではいつも泣いていました。

気づけば、顔がどんどんやつれていき
食欲もない、眠れない…体はSOSを出していました。
体重も40kgを切っていました。

産業医の先生から声をかけられ

「最近元気がなくて心配。見ていられないです。

みさこさん…私ついていくから、一緒に病院に行きませんか?」

と言われたのです。

当時、職場では精神論が飛び交っており

メンタルダウンしたやつは負け。
今の若者は弱すぎる。

という雰囲気が漂っていました。
ここで、病院に行ったら私は「負け組確定」。

頑なに先生に行きたくない!と伝えましたが
向こうの意思も固く、クリニックに連行されました。

社会人病み期:屈辱、痛み、絶望。

産業医の先生と渋々クリニックへ。

メンタルクリニックなんか、行ったら何かしら名前がつく。
本当に行きたくなくて泣き喚きました。

診察室に入ると、とっても優しい男性の先生。
ニコニコしながらこう言われました。

「みさこさんは、大変危険な状態です。

明日からすぐに会社を休んでください。しっかり治療をしてください。」

はい、人生オワタ〜〜!終了!(^_^)✌️

私はそこから、約1年の休職期間を経験します。

この休職期間は
私にとって限りなく死に近い、地獄のような時間でした。

天井ばかりを見つめる日々

 

休職を言い渡されてから約半年間は
本当にベットから起き上がれず、全てのやる気がなくなってしまいました。

毎日、クリニックの先生から処方された薬を飲んで
天井のシミを数えていました。

生きている意味が正直わからなくなりました。
毎日泣いていましたね。

大手企業で頑張っている同期は
海外出張なども経験し、確実にスキルを伸ばしていました。

学生時代の友人も大手就職ばかりだったので
都会で毎日キラキラと輝く友人の活躍が、とにかく憎い。

私はこの狭い6畳の部屋で、起き上がれもせず、
真っ暗な部屋の中、泣くことしかできない。

両親には、まさか私がこんな状況だなんて
口が裂けても言えませんでした。

実家帰省で見えた、少しの光

そんなこんなでお正月、両親に心配させるわけにはいかない、
いつも通りの素振りで実家に帰省しました。

明らかに痩せこけている私。
両親はすぐ異変に気付いたようでしたが
そっとしておいてくれました。

夜になり、家族が寝静まった頃。
ベットで寝ようと思ったのに、全然眠れない。

実家に帰ってきても、まだ不眠は治らないのか。

本当に悔しくてリビングのソファーで横になりながら
一人涙を流していました。

そこに、父がリビングに戻ってきて
こう言いました。

みさこ、ドライブにでも行こうか

え!内心びっくりする気持ちを抑えて
父の車に飛び乗りました。

奥入瀬渓流という
地元で有名な滝に連れて行ってくれました。

私の様子に気づき、リラックスできるようにと
外に連れ出してくれた父。

嬉しくてすでに涙が溢れていました。

そこで、父はこう言ったのです。

自分の人生なんだから、もっと好きに生きていいよ。
パパたちのために、学校や仕事を選択するのはもうおしまいにしよう。
自分がやりたいと思うことをとことんやってみなさい。

みさこは、この辺に止まってる人間じゃない。
パパの自慢の娘だから。

思わず、声を上げて泣いてしまいました。

学生時代から、両親に大きな迷惑をかけることなく
敷かれたレールを正しく歩んできたつもりでした。

気づけば体も心もボロボロ。

そこから、本当に自分が好きなこと
やってみたいことは何だろうと考えるようになりました。

社会人ニート期:私、アイドルになります!?

実家帰省を終えて、部屋の中で自分がやりたいことを考える日々。

クリニックの先生からも、少しずつでいいから
自分の興味が湧いたものに挑戦してみよう、と言われていました。

コロナ禍で、外に出ようにも出られない日々が続いていたため
家でもできることはないか…と考えました。

学生時代から、女性アイドルが大好き。

奨学金や自分のアルバイト代を切り崩し、
夜行バスで毎月アイドルに会いに行っていたことを思い出しました。

よし、私ネットアイドルになる!!

両親や教授からではなく、
自分からやりたいと思って行動したのはこれが初めての経験でした。

アイドル期:配信の女王、本来の自分を取り戻す

配信アプリ、ミクチャで毎日配信を始めました。
合わせて、地元東北のご当地アイドル(?)としても1年半ほど活動。

小っ恥ずかしいので、ここに書くのを躊躇いましたが
自分の人生においては必要な出来事でした。

私はそこから約一年、毎月180時間以上配信をしました。

半年以上ずっと寝たきりだったので、
人に求められること、
何より「誰かのために」話すことに生きがいを感じていました。

このお仕事は正直天職だなと感じましたね。

毎日配信をするごとに、
私にも「ファンです」と言ってくれる人ができました。

私のファンの皆さんは、一人残らず面白くて優しい人ばかり。
配信のお部屋ではいつもあたたかいコメントで溢れて
笑顔が絶えない毎日を過ごしました。

私はコンテストに参加し、全国大会を目標に配信をしていました。

ライバルには、元AKB48の研修生の子もおり、とにかく激戦!!

プライドも、実績もない私は

誰よりも配信をすること、企画力でカバーをし
目標にしていた全国大会にも無事に参加することができたのです!

大手企業を退職し、人生のどん底を味わった私でしたが
このアイドル時代の成功体験が
本来の私を取り戻すきっかけとなりました。

社会人2社目:ベンチャー企業で本領発揮!

ネットアイドル期で、本来の自分を取り戻した私は
元気になったし、そろそろちゃんと働こう!と思い
転職活動を開始しました。

コロナも少しずつではありますがおさまってきた頃です。

大手企業アレルギー笑 が出ていたので
今度はゴリゴリのベンチャー企業で自分の力を試してみたい!と
薬剤師さんに特化した転職エージェントのお仕事に就きました。

営業は未経験でしたが、配信時代に鍛えたトーク力が開花し
1年目で新人賞を受賞。3年目で拠点トップの成績をおさめることができました。

MAXは、1ヶ月で売り上げ1,700万円over。
社長からも表彰を受けました。

将来に対する、漠然とした不安

売り上げも上々で、人生に特に不満なく毎日を過ごしていましたが
ある出来事から漠然とした不安を感じ始めます。

それは、営業メンバーの立て続く退職
特に、女性社員は結婚や出産を機にどんどん退職していきました。

人材営業職は、とにかくプライベートがありません。
なぜなら社用携帯を常に持って歩く生活をしているからです。

土日休みの会社でしたが
薬剤師さんからクレームが入れば飛んでいき
スライディング土下座をする毎日。

謝ることには慣れていましたし
特にストレスを感じることはありませんでしたが、
絶えられず1週間で辞める社員も少なくありませんでした。

上司の給料に絶望。

ある日、上司からこんなことを言われました。

「みさこさん、俺と君の給料って実は5,000円しか違わないんだよね!
うちは階級が上がっても手当がそんなにつくわけじゃないから、
それも加味して今後のビジョンを考えた方がいいかもね〜!」

正直、びっくりしました!

上司は私よりも夜遅くまで残って仕事をしたり
トラブル対応の時はいつも一緒にいてくれました。

責任と金額が全く伴ってない…
真剣に今後の自分のビジョンについて考え始めるようになったのです。

人生の転機:あるオンラインスクールとの出会い

 

営業のお仕事は副業はOKだったので
私は、まず副業にチャレンジすることにしました。

インスタでだらだらと投稿を見ていたら

「在宅ワークで場所を選ばず働ける」
「仕事も家庭もどちらも充実させられる」

とうたっている、オンラインスクールを見つけました。

内心「ほんまかいな!」と思っていましたが、
近い将来、今の会社を辞めて場所を選ばずに働けたらいいなと
ぼんやり考えいた私には、やらない選択肢がありませんでした。

「リモラボ」というオンラインスクールです。

在宅ワークを叶えたい方や、場所を選ばずに働きたい方に向けた
実践型のオンラインスクールになります。

私は2023年の9月に入会し、
campという3ヶ月短期集中のコースを受講しました。

3ヶ月以内に案件を獲得。
そこから半年足らずでフリーランスとして独立しよう!と決心し
今は新米フリーランスとして走り出したところです。

将来ビジョン:なぜWEBマーケティング?

リモラボでも充分今後のビジョンを描けるようになってきましたが
ある問題を感じていました。

現在は、Instagramの運用代行のお仕事をさせていただいていますが
今後はInstagramだけでなく、動画スキルやライティングのスキルがなければ
生き残ることは難しいです。

なぜなら、コロナの影響から在宅ワークで働きたい方や競合の参入が激しく
同じような投稿をする発信者も増えてきているからです。

そのため、根本的に自分のスキルを磨いていく必要があると感じました。

また、スキル0実績0から始めた私は
まだまだ作業者のお仕事(デザイン投稿などをお任せいただく)が多く
今後の単価アップも課題に感じています。

だからこそ、WEBマーケティングスキルを身につけて
クライアント様が手放したくない!と思うような人になっていきたいのです。

最後に

冒頭にも話したように、

目標は1年後に月収30万円、2年後に月収100万円です。

今、私が学んでいるスクールのカリキュラムをやっていくと、目指せる金額です。
私はこれからこの計画したプロセスを実行していき、目標実現のために努めます。

そして、私と同じように

将来に漠然とした不安を抱えていて
なんとなく今の仕事を辞めたいけど、何からやったらいいかわからない

という方に勇気や希望を与えていきたいです!

いずれは皆さんが在宅ワークを始めるためのサポートをしていきたいです。
とは言っても、私はまだビジネスを始めたばかりの新米フリーランスです。

ぜひ私を実験台のように考え、スキル0実績0のアラサーが
本気でWebマーケティングを学んだら

目標である1年後に月収30万円、
2年後に月収100万円を達成することは可能であるのか、
その答えをこのWebサイトで確かめてみてください。

皆さんがもし私のやり方を参考にして在宅ワークを始めようとした時、
その道しるべとなるために、しっかりと成長過程を記録に残し、発信していきます。

よかったら定期的に私の成長状況を見に来てください。

次回、コンセプトについてより詳しく記事にいたしますので、
ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました(^_^)♪